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●政治家
  ハプスブルク関連の方々
ハプスブルクの欄をご覧ください。
カール・レンナー 第2次大戦後、オーストリアが他の東欧諸国同様ソ連の属領化するのを救った人。その見事な立ち周り、ハプスブルクに欲しかった?
アドルフ・ヒトラー この人実はオーストリア生まれ。1889年にオーストリアのブラウナウに生まれました。子供の頃は成績不良で協調性の無い劣等性。兵役を嫌ってウィーンからドイツのミュンヘンに逃げたあたりから、人生が狂い始めたのかも。ちなみにオーストリア併合にはこのあたりの事情がからんでるようです。
アーノルド・シュワルツェネガー 政治家といえばそうか・・・。ときどき機械の殺人兵器にもなる。もともとオーストリア人で後アメリカに移住
6.オーストリアが生み出した有名人
●音楽家
  作曲家ならモーツァルト、ハイドン、ヨハンシュトラウス、ブルックナー他多数、出身が違ってもウィーンで活躍したベートーベンやブラームス等枚挙に暇なし。 多すぎ。

そのうち気が向いたらちゃんと書きます
指揮者も多い。ヘルベルト・フォン・カラヤン、クライバー親子、カール・ベーム、スィートナー他 そのうち気が向いたらちゃんと書きます。カルロス・クライバーは大好きです。
●美術、芸術
  グスタフ・クリムト(1862-1918) ウィーン分離派。ウィーンの郊外で生まれ、ウィーンの工芸学校で学んだ後、プロの道に入る。1997年分離派結成。シーレ、ココシュカと並んで分離派三羽ガラスの一人であり、その中心人物であった。金箔が印象的な「接吻」タイプの絵はシドも大好き。
エゴン・シーレ(1890-1918) クリムトとは師弟関係でもある。クリムトは確かにすごい、でもシーレを見るとなんか陰が薄くなる気がするのはなぜだろう?夭折の天才という言葉は彼の場合実にしっくり来る。腐臭がただよってきそうな彼の作品の病み具合、あふれるエロティシズム。分離派の看板をしょってはいるが、それはスタイルを借りただけで、シーレはシーレ以外の何者でも無い気がする。夭折が惜しまれる。
オスカー・ココシュカ(1886-1980) 三羽ガラスの一人だが、他の二人に比してかなり長生き。強烈な色彩の絵が多い。退廃芸術としてナチスから作品没収の憂き目にあったこともある。後、スイス、フランス、イギリス等にも移り住んだ。マーラーの未亡人アルマとつきあって破局した挙句、彼女の等身大の人形を作らせ、外出するときもオペラを見るときもそばに座らせていたらしい。さすがは天才芸術家である。
フリーデンスライヒ・フンダートバッサー(1928-2000) 若い頃から世界中を放浪て画才を発揮。世界巡回展を5大陸で開催。環境保護を念頭においたユニークな建築が有名で、「ウィーンのガウディ」の異名も持つ。その作品は市内集合住宅、ごみ焼却場などウィーン市内でも簡単に見ることができる。日本好きでもあり「百水(名前の直訳だな)」という雅号も持っていた。日本にもいくつか彼の作品がある。
オットー・ヴァーグナー(1941-1915) 建築家、クリムトらと共にユーゲントシュティール(アール・ヌーボー)と呼ばれる新しい芸術活動を起こし、その中心人物であった。彼の作品も郵便貯金局、カ−ルスプラッツ駅などウィーン市内で簡単に見ることができる。
●映画監督
  フリッツ・ラング(1890-1976) 代表作「メトロポリス」はSF映画の古典であり、金字塔。ドイツで活躍していた時期とアメリカに移ってからの時期に分けられるが、原因はワイルダーと同じくナチスの追及を逃れるため。興行的には不遇なことが多かったが、ゴダールやトリュフォーはじめ今に至るまで多くの映画家からレスペクトを受けている。
ビリー・ワイルダー(1906-2002) 代表作に「麗しのサブリナ」「お熱いのがお好き」「七年目の浮気」等。他にも数々の名作を持つハリウッドの巨匠。ウィーンの大学を辞めた後、ユダヤ人であったため、ナチス・ドイツの圧迫を受けてパリ→アメリカへと移り住み、そこで才能を開花させた。オスカー・ノミネート20回、受賞6回を誇る。
●哲学者
  ジークムント・フロイト(1856-1939) 精神分析といえばこの人、もともとはチェコ生まれながら生まれて3年後にウィーンに移住。神経科医として病院で働く一方精神分析の研究を進める。ヒステリーの研究、エディプス・コンプレックス、超自我等その研究は現代に至るまで一大潮流を作っているが、自身もノイローゼに悩み、また、ユダヤ人としての迫害にも苦しんだ。
7.オーストリアの今
「接吻」
●政治関係
  政体:共和制
元首:トーマス・クレスティル大統領
首相:ヴォルフガング・シュッセル
議会:二院制
1995年EU加盟
2003年2月、国民党と自由党(党首がナチス支持の極右でEU中から顰蹙を買ったニュースは記憶に新しい)の第2次連立政権発足。

国際連合の中では重要な役割を果たしている。ウィーンはニューヨーク、ジューネーブに次ぐ第3の国連都市であり、ドナウ川沿いのUNOシティには国際原子力機関(IAEA),国連工業開発機関の本部、石油輸出国機構(OPEC)の事務局などがおかれている。

長らくハプスブルク帝国のお膝元だったこともあり、また最近では東欧と西欧の仲立ちをしていたという意識もあって、小国に転落した今でもプライドはかなりお高い。また、帝国慣れしているせいかすぐ極右に走りたがる傾向もあるらしい。日本とは1869年の関係樹立以来、第一次大戦の交戦状態はあったものの、おおむね良好で、芸術関係を中心に盛んな交流が行われている。まぁ、お互い伝統にしがみついてるもん同士はレスペクトしあうもんらしい。ウィーン・フィルもわりとよく来るしね。ただ、ぶっちゃけて言うと東欧の人たちのアジア人差別意識はまだまだ強い気がするけどね。ハンガリーはマシだそうだけど。ヨーロッパは田舎に行くほどそういう偏見強いよね。

<最近のトピック>
永世中立を宣言しているオーストリアはイラク問題においても非派兵、同時に難民に対しては積極的な支援を表明。ハイジいわく「国民もこの問題にはあんまり関心が無い」とのこと
2003年5月、ザルツブルグにて中・東欧サミット開催
「シーレのひまわり」
●経済関係
ここ数年は景気低迷中。イラク戦争の影響による原油価格の上昇の他、ユーロ高の継続、内需の伸び悩み等が要因。もともと世界的に有名なメーカーは無いが、独メーカーの下請的なことをしている会社が多い。自動車のエンジン、ディーゼル等の部品産業及びニッチ分野で競争力の高い中堅中小企業が中心。日本との関係では常に日本の輸出超過状態。オーストリアからの輸入品ではスキー用品の比率が高い。ソニーやANA等が現地進出。失業率は国の対策もあってずっと低い。
フンダートヴァッサー、ごみ焼却場(の一部)
カールスプラッツ駅

オーストリア

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