とりあえず前置き
バンコクの空港で市内へ向うエアポートバスの待合所。隣に物売りの青年が座ってた。少し警戒しながら話し掛けてみると、意外に商売っ気は無いらしい。彼もヒマだったようで、ほとんど通じない英語でカタコトの会話をはじめた。ところがいろいろ話してる内に肝心のバスを捕まえ損ね、一時間以上もそこで時間つぶしするハメに。今にして思うとこのあたりからすでに歯車が少し狂ってたのかもなぁ。


やっとこさ空港バスに乗り込み発車を待ってたけど、しばらく停車しているうちにどんどん人が乗ってくる。ほとんど日本人。僕はタイ国際航空だったけど、その1時間ぐらい後にビーマン・バングラデシュ航空の成田発の便が到着したせいらしい。安いのでパッカーさんはこちら御用達。(ちなみに曜日限定なので、僕は使えません。)


席は見る間に埋まった。このバスの行き先は東南アジア一のバックパッカー聖地カオサンなのでそういう風情の人が多い。そうこうしてるうちに僕の隣の席にも一人の青年(同年代なので青年と呼ぶ)が座った。この青年も見るからに年季の入ったバックパッカー。浮ついた感じが無くひょうひょうとした物腰とあごひげがなんか仙人みたいだ。雰囲気に人を拒んでるようなところが感じられなかったので、話し掛けてみた。


登戸あたりに住んでるという京都出身のHさん。アジアを中心に回っていてバンコクは3回目。だが一回の滞在が長期なので、かなりのバンコク通だ。彼との出会いがこの旅の方向性を決めることになった。
写真と本文はほとんどリンクしてません
これは話し込んだにいちゃん
1.パッカー御用達の宿
バスの中でHさんと話がはずみ、これといったあても無かった僕はHさんに心当たりがあるというので、あまり深く考えずについていった。カオサンの本通のどんづまりを少し路地に入っていったところにその宿PCゲストハウスはあった。


この宿、宿泊料が一泊80バーツ(250円)、こういう安宿は口コミで噂が広まるので当然同国人が多くなる。ここの泊り客は日本人しかいなようだ。部屋も狭い3畳ぐらいの部屋にマットレスだけのベッドが一つ。上で扇風機が回ってる。シャワートイレはもちろん共同。


最初は男しか見かけなかったが2日目には女性も何人か見かけた。シャワートイレが一緒になっていて脱衣所も無いような宿に泊まる女性というのも・・・すごすぎる。
実は幽霊部屋だった・・・らしい
2.カオサンというところ
Hさんと最初の日以外にも、一緒に何度もカオサンストリートでメシを食った。


カオサンはさすがバックパッカーの聖地、あちこちに屋台が出てるし、ものすごい人出。人種もばらばらでかなり怪しい雰囲気。まあ六本木をもっと猥雑に、ごちゃごちゃにした感じ。メインストリート以外にも周辺の何本かの通りとそれをつなぐ路地なんかにもいろんな店が並んでる。


メシの方はそのへんの屋台で食えば20バーツ(60円)ぐらいでちゃんとした量の一皿分食える。さすがに物価は安いね。おまけにかなり美味。ただ、味付けには化学調味料をいっぱい使ってるみたいなんで、ずっと食ってると体には良く無さそうだけどね。アジアはメシが美味いことを再認識させてもらったよ。タイ米の匂いだけはちょっと抵抗あったので、どっちかと言うと麺類の方が好きだったね。あ、おなじみトム・ヤンクンはちょっと苦手だな。


「レックさんの・・・」という日本食のレストラン(というより定食屋)で日本食を食ったけど、濃い系の味でかなり美味。メシが日本米だったら十分日本でも通じる味で、海外でまともな日本食を食えた試しの無い僕には驚きだった。
ワット・プラケオ外周の花壇
3.Hさんつながり
Hさんは最初のイメージどおりの人だった。それほど我を通す人では無いし、懐が深いので、自然と人間関係ができていくようだ。

宿では何度もバンコクに来てナイトスポットによく出かけてた人、タイ式マッサージの勉強をしにきた人、インドから流れてきた人等いろんな人がいた。さすがに4日で帰るなんていう物好きはいなかった。明らかに僕だけ浮いてた。ちょっと哀しい気分になった。

後になって、Hさんと以前から親交があった人にも会った。半年ほど前に沖縄のサトウキビ工場でHさんと一緒に働いていて、今はバンコクに部屋を借りて住んでいる人。ネパールの滞在期限が切れたのでバンコクに出てきた人、この人はとても強い我を持ち、真っ直ぐな目をしていて、どきっとした。

別に自分を恥じることは無い。かと言って人に誇れる生き方でもない。Hさんのマイペースな生き方とネパール帰りの青年の迷いの無い視線が今でも僕にいろんなことを考えさせている。
王宮
今回はこれ一枚だけ・・・の猫
ワット・プラケオの一部
   


バンコクの旅

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