8.道はどこだ?
  さて、スルジ山に登っていこうと思ったのだけど、標識が全く無い。しょうがないので、地図とにらめっこしてあたりをつけながら、行く。旧市街入口の近くから上に向かって何本か長い階段があるようだ。そのうちの1本をたどってどんどん登っていった。このとき、雲はあるものの太陽は輝いていて、とても暑かった。

こちらは直線に登っていくので、途中蛇行するようにに登っていく車道に何度かぶつかる。2、3度交わったところで、ついにこれ以上上には車道が無いところまで来てしまった(山の別の側にはある)。

さて、ここで困った。道に関する情報が完全に途絶えてしまっている。道らしい道が全く無いのだ。
9.旅は道連れ
  たまたま、道路沿いに旅行会社があったので、ちょっと聞いてみたが、カネを払わない客に興味は無いのか、「階段を登っていけ」と言ったきり、とりつくしまも無い。

登り口をさがして、車道をうろうろしていたら、向こうから人が来たので、ちょっと聞いてみようと近寄っていった。「女性だ・・・ん?旅行者か?」近づいて来るにつれて、人物像が見えてきた。

旅行者だってかまわない。道を知ってるなら大助かりだと思って、話しかけてみた。そしたら何のことは無い、彼女も道がわからず困っているそうだ。

旅は道連れ。2人で道を探すことにした。少し探してるところに今度はほんとに地元の人が通りかかったので聞いてみた。聞いてびっくり。実は道のようなものがあるのは気づいていたのだが、あまりにみすぼらしい細い小道で、まさかと思って引き返していたまさにその道だったのだ。

13.海側
  降り始めてしばらくして山頂を振り返ると、何とガスが消えていた。なんて間の悪い!でも、明日天気良ければもう一回勝負することにして、ここは素直にあきらめる。

下がよく見える場所で写真を撮った。でもどうもイマイチ。雲りがちだし海の色もあんまりきれいに出ていない。まぁでもこれだけでも見えただけ良しとするか。

どうも天気は悪化の速度を速めだしたそうだ。しばらく見えていた頂上も再び濃いガスに覆われ、今度は2度と姿を現さなくなった。

降りるのは早い。ダイナとは旧市街の前で別れた。僕は翌週の月曜日から仕事、ダイナは火曜日から。お互い大変だよねぇと慰めあいながら・・・。
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5月5日
街を見下ろす巨大な十字架

11.山頂にて
  ダイナもなかなかパワフル。二人とも休憩無しで一気に登る。しかしアンラッキー!だいぶ頂上まで近づいたところで再び厚いガスが頂上付近を覆い始めた。

ようやく頂上に到達。
車道はここまで来ているので車でも来れるのだけど、この天気のせいか誰もいない。電波塔と巨大な十字架、石造りの建物にロープウェイ駅の残骸・・・。そしてそれを取り巻く濃〜いガスと強い風。美しい風景からほど遠いかなり異様な光景がひろがっていた。

中でも強烈なのはロープウェイ駅の残骸。かつては山頂までロープウェイやケーブルカーが通じていたそうだ。だが戦争で破壊されつくしてしまい、今残るのは山頂駅の無残な残骸だけ。これがガスの中に浮かび上がるとはっきり言って怖い。ほんとに何か出てきそうだ。

旅を通じて、写真で何度か戦争の記録を見たが、ほんとうに残骸と言えるものを見たのはこれが初めてだった。浮かれた観光気分を冷やすには十分。僕もダイナも絶句して、しばらく呆然と眺めていた。

10.がんばるヤンキーガール
  彼女は名前をダイナといった。シカゴ在住のアメリカ人だ。ちょっと変わった名前だと思ったら、もともと祖父だかがデンマークの出身でそっちの方の名前だという。妹がローマに留学していて、妹のところに遊びにきたついでに一緒にクロアチアまでフェリーに乗って来た(スプリット−アンコーナ間などがある)そうだ。スルジ山に登るという意見に妹が賛同してくれなかったので、「しょうがないから一人で登ってきた」と笑った。

さて、アンビリーバブルな登山道は、細い道を抜けると確かに道幅が多少広がって、いちおうそれらしい道にはなった。ただ、ぶっちゃけて言うと、この界隈、地雷でも残ってるんじゃ無いかとちょっと心配だった。いくらガイドブックに紹介してるとはいえ、それぐらいのことはあっても不思議は無い雰囲気だったし。とりあえず足元には十分注意してすすむ。

登っていくにつれて、だんだん下の風景がきれいに見えるようになってきた。
山頂付近を望む
ほんとは旧市街が見えるはずなのに・・・
今回の旅で僕が写ってる写真はここだけ。
12.ガス消えず
  近くに建ってる巨大な十字架はもともとナポレオンがこのエリアを占領していたときに贈られたものだが、現在建ってるのはこの前の戦争後建て直されたもの。でもみんなナポレオンよりこの前の戦争との関連を連想するに違いない。夜にはライトアップされて、旧市街からも良く見える。

われに返った僕とダイナは、相変わらず濃いガスの中にいた。お互いせっかくここまで登ったのだから、やはりこのまま下山するのは惜しい。このまましばらく待つことにした。

待ってる間、お互いの仕事の話や、中国の話、彼女がベジタリアンだという話なんかをした。最近仕事を変わったばかりだそうで、大変だと言っていた。

時々少しガスが晴れて、ドブロヴニクの街がちらっと見える。でもまたすぐガスに覆われてしまう。どうにももどかしい。それにダイナは妹を待たせてるので、そんなに長い時間あ待てない。

かれこれ1時間ぐらい待ったけど、天気は回復せず。ダイナは自分だけ先に降りてもいいと言ったが、ぶっちゃけこんなところに一人で残るのはすごくイヤだったので僕もあきらめて降りることにした。それに下界は晴れているのだから少し下に降りればガスが晴れる可能性も高い。

14.今日も雑談
  もりだくさんな一日だ。

山を降りて旧市街に入り、またバチャンのゴランのところに行って雑談。今日は何か買おうと思ってたのだが、昨日以上に話し込んでしまい(2時間ぐらいいた)、しかもまた何も買わずに店を出た。

今日もゴランおすすめの店は混雑していたので、その辺の店に入ったのだが、ここのリゾットは最悪。リゾットというより、ご飯にリゾットのルーがかかってるようなカレー状態。この旅を通じて一番ハズレだったメシだったかも。
明日は必ずゴランおすすめの店に行くことを誓ったのだった。

まだ、終わらない。この日は旧総督邸の中庭でドブロヴニク・シンフォニー・オーケストラのコンサートがあって、旧市街のあちこちに看板が出ていた。当然トライだと思って、当日券売場に行ったのだが、看板広告が効いたのかけっこうな人気のようで、それなりに長い列。でも並んでいたら、後ろから声をかけられ、「一人行かなくなったから買わないか?」と5人ぐらいのグループに声をかけられたので、ありがたくそれにのることにした。
城破壊されつくしたロープウェイ駅


こんな感じの道が続く

ロープウェイの発着部分
15.終わりを飾るクラシック
  会場はいっぱいの人。座席だけでは足りず、2階に通じる階段や2階の手すりからもたくさんの人が見下ろしている。屋外だから音響関係に贅沢はいえないけど、昨日と一緒で雰囲気で楽しむもんだよね。

昨日のカルテットと違って曲目もベートーベンの「田園」やグリーグのピアノ協奏曲と親しみやすいもの。個人的には「田園」よりピアノ協奏曲のほうが良かった。

充実の一日を終え、会場の外に流れ出たところで、何と雷鳴がとどろき出し、いきなり雨が降ってきた。コンサートが終わってすぐで、見事なタイミング。

僕もあわてて部屋まで走って戻った。雨はあっという間にどしゃぶりに。スコールみたいな感じで降ってる。この雨が雲をすべて洗い流してくれることを期待しながら就寝。

明日はドブロヴニクを発って帰国の途につく日。
旅程のほとんどは終了。寂しい限りだけど、無事にここまで来たことを素直に感謝。

ゴランもっと笑えよ〜
けっこうきつい傾斜だった
階段を登っていく
クロアチア・スロヴェニア
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