9.最初の目的地は?
ガイドさんはよくしゃべる。どこで息つぎをしてるんだろうっていうぐらいよくしゃべる。でももちろん中国語なので僕にはさっぱりわからない。だんだん子守唄に聞こえてきた。寝る・・・。
目が覚めたら高速を降りるところだった。ほどなく目的地に到着。

さて、ここでは一つ大きな間違いをしでかした。中国語の表示ががわからないのはもちろんだけど、本人も、お目当ての長城ということですっかり舞い上がっていたんだな。八達嶺には右側ルートと左側ルートがあり、左側はハードだが人が少ない、と言われていることは知ってた。また、うまいぐあいに、ここには左右両ルートがあって、左側は限りなく人がいなかった。僕とダッフルは迷うことなく左の道を選び、歩き出した。ところが、行けども行けども終わらない。おまけに僕達二人以外に誰も歩いてない。どこかおかしな感じを抱きながら、ここでの滞在時間はわずか1時間しかなかったので、30分を過ぎたあたりで、無念ながら引き返した。

戻ったところで、敗北感でいっぱいだった僕にダッフルが言った。「何か違うんじゃないですかね?ここは「八達嶺」じゃなくてこれじゃないですかね?」と彼が指差した「歩き方」のページには「居庸関長城」とあった。そういえば確かに「居」の文字はそこかしこに表示されたぞ。慌てて、もらったときろくに見なかった入場券を引っ張り出した。まぎれもなく「居庸関」。ダッフルの言うとおりここは「八達嶺」じゃないのだ。いくら中国語がわからなくてもちょっと注意してればわかったはずなのに、げに思い込みとはおそろしい。おのぼりさんはこれだから困る。

おっと、居庸関自体もなかなか見ごたえのある建物だったよ。昔は難攻不落の要塞だったそうだ。ここも時間をかければそれだけ魅力UPってとこかな?
女坂方面だったかな・・・
八達嶺に向かう道
8.旅游バス
翌朝

今日は「万里の長城」に行くと決めてた。長城までは、前の日にばっちり検討した結果(「安いですよ」「それにしよう」ぐらいのものだったけど)、「歩き方」にも紹介されていた公営の旅游バスを利用することにしたんだ。近くのマックで腹ごしらえし、再び地下鉄に乗って「前門」で下車。朝8時過ぎに前門近くのバス乗り場に到着。八達嶺、明十三陵に向かう游1番のバス停にはすでにバスが止まってた。

このバスは、言ってみれば中国のはとバスみたいなもの?対象が中国人相手なのでバスガイドといえども英語が全くしゃべれない。乗りこむまでにひともんちゃくあったけど、まぁここでは相手も目的がわかってるのでわりとスムーズに事は運んでくれた。車内もほぼいっぱいになった8時半頃、バスは長城に向けて無事出発した。
ちょっとぶれてるけどバスで撮った唯一の写真
見事な押し出しだ
10.八達嶺長城
バスが次に行った所が間違い無く「八達嶺長城」だった。今度は八達嶺と書いた、大きい表示板がそこかしこにあるんで間違わない。観光客の数もかなり多い。気持ちを切り替え今度こその左側(いわゆる男坂、ちなみに右は女坂))攻略に意欲を燃やす。ロープウェイもあるみたいだけど、「若いもんは自力歩行ぢゃ」とばかり左側の急な坂道(あるいは階段)を驀進する。さすが世界的に有名な観光スポットだけあって、登ってる人たちも国際色豊か。

ポイントポイントには必ずみやげ物を売る連中がいて、まとわりついてくるのがうっとおしい。ここぞというポイントには必ずのさばっているので、ゆっくり見ているヒマが無い。物売りがいるのは観光地である以上しょうがないと思うけど、せめてやる場所は制限して欲しいもんだ。あれだけ監視好きな国家なんだからさ。

一気に左端まで行く。快晴の手前といった天気だったけど、眺めは文句無し。最低気温の予報は−8℃だったけど、太陽が出ていたこともあり、また歩き回ってたのでそれほど気にならなかった。行くところまで行ったけど、一番先端にまで物売りがたむろしていたので、休憩もそこそこにそのまま出発点に戻った。ここでまだ少し時間が残ってたんだよね。なんで僕は何も考えず今度は右側(女坂)の道を登り始めた。でも、これは無謀だったね。右側のルートは全部周るのに3時間はかかるということを把握してなかったんだよな。3時間はどんなにがんばっても30分にはならんわさ。

それでも一区切りポイントまで後少しまで迫ったんだけどな。でも、そこであえなくタイムオーバー。ひとまず左側は制覇したので、それほど心残りは無かったけど、これだけ大きな建造物に、こんなせかせかした行程で臨むのも失礼な話だよね。なんで、いつかまたゆっくり時間をとって一日がかりでゆっくりまわってみたいな。→長城な世界
居庸関の石碑


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北京の旅

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