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トルコ 2005年7月29日(金)〜2005年8月9日(火)  7月31日(サフランボル)
 長距離バス
  明けて31日。

昨日、飛行機が取れなかった時点で、本当は昨晩の夜行バスに切り替えたかったのだが、残念ながら、すでにホテルを確保していた手前、それは無理だった。まぁ疲れてたから、賢明といえば賢明な判断なのだが。

トラムとメトロを乗り継いで郊外のオトガル(バス・ターミナル)に向かう。さすが1000万人都市のターミナルらしくすごい数のバス会社があってわけわからん。正直ムダに多いだけだという気がしてならない。ひとまず有名な大手バス会社、メトロ社のカウンターに行ったら、サフランボル行きがちょうどいい時間にあった(9時15分だったかな)。よって迷わずそれに乗る。

メトロという会社、「歩き方」でも誉められていて、きれいなバスで、乗ってからのサービスも良かったのだが、全国各地にあるカウンターの愛想は一貫して悪かった。「うちは大手」という臭いがぷんぷん。他の観光地のカウンターで、「どこどこへ行くバスはあるか?」 「ノー(←ほんとに一言)」「・・・それだけ?」って感じ。このときはわかってなかったけど、結局どのバス会社にしても内容はそんなには違わない。ただ、中には座席間隔が狭くってすごく疲れた会社もあったし、そういう意味じゃ、やっぱりしっかりして頼りになる会社ではあるのだが。ちなみにカウンターだけは各地にあるわりには海側やカッパドキア、パムッカレでは便が無くほとんど使えなかった。

それにしてももっとバス会社を整理しろ。多くても 5社もあれば十分だろ 。誰も全体を把握できてないってのは問題。イスタンブールのトゥーリスト・インフォメーションでも長距離バスのことは全然把握していない。バス会社が多すぎるんだ。おまけにイスタンブールやアンカラはともかく、何でたいしたこと無い街でも郊外にオトガルを作るんだ?
 宿の決め方
    基本的に長距離バスは寝るためにあるので、退屈極まりない風景を楽しもうなどと窓ガラスにへばりついていてはいけない。トルコのバスはまさに至れりつくせりで、乗ってすぐにおしぼり代わりの香水みたいのをかけられ、その後飲み物サービス(茶、コーヒー、コーラが 一般的)続いて、お茶菓子まで出る。時間が長いときは2回目もある。他の部分でさほどサービスが良いとは思えないこの国で、何があなたをそこまでさせるといわんばっかりに、どのバスに乗ってもこの方程式は変わらなかった。

トルコは各地にインフォーメーションはあるのだが、宿の斡旋なんかはあんまりしてくれないようだ。最近海外に行くときには必ずボーダホンの3G携帯を持って行くのだが、これは海外のほとんどの国でそのまま使えるので、僕のようにしょっちゅう海外行く人はとっても便利(ただしボーダホン・ライブ(ドコモでいうiモード)は使える国が限定される)。値段は割高かもしれないけど、今回はほんとによく国内連絡用で使った。そういえば一回だけギリシャからトルコにも電話したなぁ。

今回、ホテルを決めるときは、歩き方のホテルリストを参考に、携帯を使って前日(あるいは当日)に電話予約を入れていく手をよく使った。この日の宿は「バストンジュ」日本人が多いことで有名な宿だ。途中のドライブインから電話したが、最初は英語でやり取りしていたのだが、日本人だとわかると急に日本語になってびっくりする。


さて、ひたすら寝たり起きたりを繰り返している中で、あるとき、ふっと外の風景を見てたまげた。 それはもうすさまじいまでの一面の原野に変わっていた。「歩き方」のトルコ編のタイトルは 「イスタンブールとトルコの大地」というのだが、出発前はこの「トルコの大地」というのがあまりしっくりこなかった。「小アジア」の「小」の字にだまされていたのかもしれない。でも実際のところ、海岸線はともかく、トルコ中央部分まで出張ってくるとそれはまぎれもなく大地だった。さらに翌日の行程では荒れた大地とあてども無く地平線が展開する、まるでアフリカかどっかじゃないかと思うような風景が続くことになるのだ。
 まぢ?
   
旧市街(チャルシュ)中心付近

カズダール・ジャミィを望む

やっとこさサフランボルのオトガルに着く。しつこいようだがトルコでは長距離バスはオトガルという郊外のバスターミナルに着いて、その後バス会社の運行するセルビス(無料)やドルムシュ(有料)といったミニバスで市街地まで移動するのが一般的。

さてこのとき、バスを降りたら、バスで近くに座っていた兄ちゃんが、僕の方を向いてにこにこしながら おもむろにタクシーの方にひっぱっていき、OK、OKといいながらタクシーに押し込め、自分もタクシーに乗り込んで発進させてしまった。「う、これはまずいパターン」と思いながら、タクシー内で今後の展開を必死でシミュレーションするシド絶体絶命!ところが、あにはからんや(いつの時代?)旧市街中心部に着いたら、この兄ちゃん、いつの間にか支払いを済ませ、おもむろに「OK OK」といいながら「じゃあな」といいのこし、去っていってしまった。あっけにとられるシド。どうもここはイスタンブールと違うらしい・・・。


バストンジュの若い兄ちゃんが迎えに来てくれた。アリといったが、これがまた日本語が上手い。連れられてとりあえず宿に行く。宿では日本語の上手いトルコ女性が対応してくれた。この人がトルコの宮沢りえの異名を取るヤスミンらしい。もちろん電話の対応してくれたのもこの人。トルコ好きのジャパニーズ・バックパッカーには有名である。部屋は相部屋。かなり混んでるらしい。

荷物を降ろして下に降り、少し話をしていたら、ちょうどそこに一人の青年が降りてきた。なんとなく顔が日本人っぽいと思ったらやはり日本人だった。名をWさんといった。しばらく話をした。彼は僕が乗りたかった昨夜の夜行で来たそうだ。この混雑の原因は韓国人だと教えてくれた。どうやらこの宿が有名なのはジャパニーズの間だけでは無かったようだ。9割日本人は昔の話で、今や9割韓国人の世界になっていた。

韓国人旅行者が多いのはともかく、この宿に韓国人が多いのは、彼らが手にしてるガイドブックを見て少しだけ謎が解けた。そう「地球の歩き方」にクリソツだったの だ。どうも「歩き方」韓国語版はかなりポピュラーなガイドブックらしい。つまりほぼ同じ情報を見ているわけね。だからといって、それが、なぜこんなに大量の韓国人がトルコを蹂躙しているかということの解答かというと、十分ではないのだけど
 サフランボル
Wさんは午前中に村内の散策は済ませたとのことで、一人で村内の散策に繰り出す。サフランボルは世界遺産。人口は3万人弱の小さい村だけど、古い民家がたくさん並んでる。ノリとしては白川郷みたいな感じ。まずは高いところから村を見下ろすべく城跡に登る。別段、大した登りじゃない。さっくり登ってしまって村を見渡す。近くにほとんど人はいない。と、村の反対側にも似たような高台が見える。あちらは城壁のようなものも見えていて、歩いてる人も見ることができた。なるほど展望台と言われてるのはあっちの方だな、と合点がいく。

城跡を下って今度はその反対側の丘(フドゥルルックの丘)に移動する。ちょっと道に迷ったけど、何しろ小さい村なのでさしてダメージは無い。

こっちの丘は入場料をとっていた。やっぱりこっちが展望台だ。人もたくさん。どっちかというと地元の人が多い感じ。

それにしても、ここの人たちはイスタンブールとは同じ国とは思えないぐらい愛想がいい。子供達から大人まで愛想がいいし、カメラを持ってると撮ってくれと頼んでくる。なんかキューバ以来かも〜♪旅カメラ否定派の僕でも、それがコミュニケーションに使えるとなると話は別。さぁ皆さんよってらっしゃい!もう、どんどん撮っちゃいますよ〜。おばあちゃんを撮ったら代わりにキュウリをくれたりして、それはもうたまらなく楽しい!トルコっていい国だ〜!

日没までの短い時間で、ひたすら村を歩き回った。もうちょっと時間があればもっとたくさんの人とコミュニケーションがとれたのに・・・残念。

→サフランボルの人々とネコたちはこちら
 
城跡から


フドゥルルックの丘から
 思い
 
フドゥルルックの丘を望む


Wさんが来るとき一緒になったという韓国人女性のグループと一緒に、フドゥルルックの丘まで日没を見に行く。日没にはちょっと遅かったけど、サフランボルの夜景もなかなかおつなものだった。

宿でメシを食う。う〜ん味は微妙。あとは、なんだかんだとうだうだしていた。ヤスミンの弟のアリが一緒にうだうだしていたが、日本語も上手いし、ギターもうまいし、なかなかの切れ者。

ここは思いのほか素敵な場所で、もう少し滞在したい気持ちもあった。でも後々の行程を考えるとねぇ。結局明日の朝、次の目的地に移動することにした。地理的に限られた日程でここに立ち寄ることは難しいけど、かなりオススメの場所だ。でもここは世界遺産。人々は10年後も今と同じくフレンドリーでいてくれるだろうか?



Republic of Turkey 2005年7月29日(金)〜2005年8月9日(火)
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