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トルコ 2005年7月29日(金)〜2005年8月9日(火)  8月2日(カッパドキア)
 気球に乗って
  翌朝、朝4時台に起き、5時のピックアップに備える。表に出て車を待ってみたがいっこうに来る気配が無い。20分〜30分待ってみたものの、いっこうに来ないので旅行会社とバルーン会社に電話をかけた。旅行会社は当然出るはずも無かったが、バルーン会社は今ピックアップして周ってるという。それからまたけっこう時間が経ち、ようやくピックアップの車がやってきた。

集合してわかったのだが、どうも1時間ぐらいのフライトを2回やるようで、1回目の組はすでに出発してしまったらしい。全員5時ピックアップにするから、こういう事態が起こってるわけだ。2回目の1組目にピックアップされたのが僕達。夏場は参加者が多いから、混乱してるのかもしれないが、おかげで集合場所でもさらに延々と待たされいらつく。

天気はイマイチ。雨は降って無いけど、どんより曇ってる。でも、すでに、けっこうたくさんの気球が大空を飛び交っている。それを横目で眺めながら、こちらはというと、待っている間にも続々とピックアップされた人たちがやってきた。最終的には15人ぐらいになってたかねぇ。

やっと1回目の組が戻ってきた。すでに6時もかなり過ぎていた。降りてきた1組目と入れ替わりに乗る。こんなに乗れるかと思ったが、全員しっかり詰め込んで音も無く離陸した。

気球の経験は2回目、1回目は忘れもしないケニア。感覚はすっかり忘れていたが、あの「すぅっ」って音も無く動き出す感覚と、アタマが焼けるように熱いのは思い出した。眼下に動物はいないけどね。
  
 
これはよその気球


頭上で燃えてるので熱い

 
 腕は良かったけど
   
空から見た岩場の風景
   気球はサバンナではなく、岩場を飛んでいく。どこを飛んでるかさっぱりわからないのだが、最終的にムスタファ・パシャという村の上を飛んでいたので、ユルギュップの近くを飛んでたのかもしれない。

確かにパイロットの腕はけっこう良いのではと思わせた。岩場のすれすれに近いところをたくみにかわしていくが、無理をしているという感じは無い。だが、ちょっと飛んでる対象がイマイチな気がした。あんなものなのだろうか?パンフレットで見る風景とは違ってる気がしたなぁ。村の上空では家にくっつきかけたり上昇したりと、ワザを見せていたが、基本的に住居を見たくて気球に乗ってるワケも無し。

終わってみればあっという間。そもそも離陸が遅かったし、ちょっと短かったなぁ。ちょっとはしょられたんじゃないだろうか?
予約がいっぱいだからしょうがないとしても、何度も来れるところじゃないし、やっぱりカッパドキア・バルーンズにしておくべきだったかなぁ。


気球の上、すごく民家に近い

ムスタファ・パシャの村で
 団体さん御一行?
    気球が終わった頃にはすでに8時頃だった。1日ツアーの開始は9時半。ホテルに戻りあわただしく朝飯を食ってチェックアウト。昨日の熱心なツアー勧誘を断ったせいか、はたまた、本当は東洋人には興味が無かったのか、昨日のフランクさがウソのようにいたって冷ややか。

女性に対してならまた違うかもしれない が、男の旅は良くも悪くも相手の素が見えやすい。さて、荷物を抱えてアルピノツアーに行く。こちらは時間厳守で行くのだが、相手は気楽なもんで、9時半になってもいっこうにバスの来る気配が無い。

Wさんは、僕よりさらに日程が厳しく、この日の夜、パムッカレに移動することにしていた。バスの時間は19時ごろ。だからあまり遅くに戻っては来れない。もちろんツアーブッキングのときにその辺の事情は説明してあるし、必ず間に合わせるとの確約は得ていたが、出発が遅れればそれだけ戻ってくる時間も遅くなるのが道理で、ちょっと心配だ。

なかなか来ないバスに、またピックアップに時間がかかっているんだろうと容易に想像はついたが、やっぱりそうだった。兄ちゃんツアーは最大でも15人とかいってなかったか?なんだこのバス2台分の集団は?それにしても多い。

 巨大な地下都市
バスガイドさんはシリア出身の若くて可愛らしいお姉さんだった。んが、しかし、極めて聞き取りづらい英語を話した。今日のツアーは基本的に歩いて周れない遠距離ツアーで、一番遠いウフララ渓谷までは、ギョレメから100qぐらいある。

まずは、遠方に抜けていく道すがらにあるギョレメ・パノラマに立ち寄る。写真で見るような変てこな形をした岩がいっぱい。溶岩と火山灰が積み重なって凝灰岩や溶岩層になったものが、風雨に打たれてこんな形になったそうだ。よ〜く見ると岩に入口のような穴があいていたり、彫刻が彫られている岩もあって、住んでいるのかどうかはともかく、何らかの用途で利用されてるらしい。細い道がたくさん通ってるし、歩いている人も見える。朝からずっと天気が悪くって、イマイチ決まらない展望が残念だけど。

この後は、いよいよツアーのハイライト、デリンクユの地下都市に向かう。有名なのはデリンクユとカイマクルの2つなのだが、実は36箇所も確認されているそうだ。歴史は古く紀元前7世紀にはすでに利用されていたという学者もいる。その規模も50人とか100人とかいった可愛いもんじゃなく、デリンクユで4万人もの人が暮らしていたという。ただ、常時住むというわけでもなく、敵が攻めてきたときに数ヶ月単位で避難するために造られたとも言われてる。馬小屋、井戸、ワイン貯蔵庫、礼拝堂、学校、厨房、やたらと深い井戸(デリンクユとは「深い井戸」という意味だそうだ)など、生活の後をしめすたくさんの痕跡が残ってる。もちろん換気口もばっちり。ちなみにデリンクユは地下8階まで、カイマクルは地下5階まで見られる。デリンクユの方が見ごたえはあるらしいが、横の広がりはカイマクルの方が広いらしい。どちらも夏のシーズン中はやたらめったら混雑する。

このときも混んでた。ツアーの悲しさ、つまみ食い的にちょろちょろ見ていくことになる。もちろん自分が今どこにいるのかなんてさっぱりわからない。1人で入ったら道に迷いそうだ。すごく良く考えられて造られてるけど、やっぱりあんまり住みたいと思うもんじゃない・・・

 
ギョレメ・パノラマの巨岩群


地下都市、混んでます

狭い通路をいく

おふざけお兄さん、でもほんとに処刑場らしい。
 ウフララ渓谷
 
いちおう渓谷沿いです。


地下都市はさすが目玉というだけあって、かなり見ごたえあり。もっと人が少なければなお可。外に出たら曇り→快晴に。ぎらつく太陽がまぶしく輝いていた。おまけに焼け死にそうに暑い。

すでに昼を周っていたが、昼飯はまだまだ先。全部出発遅れのせいだ。バスはそこからさらに50qほどかっとばし、ウフララ渓谷に向かう。

ウフララ渓谷は全長12qぐらいあり、高さ100mの崖がそびえている。そんな中に住居と礼拝場がたくさん点在している。12q歩くと日が暮れてしまうので、ツアーの我々はその一部だけを歩く。ま、峡谷トレッキングと言ってしまえばそうなのだが、天気もいいし、すごく景色もきれい。広い土地に散らばってるせいか人もそんなにめだたない。みんな空腹でへばってる中で僕は一人元気だった。もっとたくさん歩きたかったね。
 昼飯
  やっと昼飯。みんなかなりへろへろ。昼飯はまぁあんなもんでしょう。香港から来たというグループと話をした。みんなけっこう日本に詳しいし、日本に知り合いもいたりする。近頃中国嫌いだし、自分の方から少し身構えてしまうようなところがあったが、話してみるととても良い人たちだった。一報的名偏見は良くないのだ。国と個人は別という考え方は大事かもしれない。

メシの後、しばらくゆっくりして出発。明らかに時間が押している。大丈夫か?



食事場所付近
 子供の遊び場?
   
どこかガウディっぽい
   実はここから後、どう周ってるのかがよくわかってない。セリメを過ぎて、岩山の博物館のようなところを訪れた。穴ぼこだらけの岩山で、かつては人が住んでたらしい。迷路のように通路が通っていて、おもしろい。子供の頃にこういう遊び場があったら、基地造って一日遊んでたに違いない。



基地つくって遊びたかった

香港から来た人たち

石の窓から向こうが見える
 思い
  続いてアウズカラハン・ケルバンサライへ。ケルバンサライとはシルクロードの隊商が、宿泊所として利用したところで、カッパドキア周辺にもいくつかある。Wさんは歴史好きで、ここには思い入れがあるようで、時間がせまってるなか、熱心に見て周ってる。シルクロード、果てしない中国からこんなところまで続いていたのか・・・、不思議な気分になる。

さすがに時間切れで、Wさんはここでツアー終了。別の車に乗ってギョレメのオトガルへ直行した。他の人たちはそこからさらにアヴァノスという、焼き物で有名な町に移動。ずっと中心から南側を周ってたのだが、なぜかここで北側に入る。そんなに盛りだくさんにしなくてもいい気もするのだが、とりあえず焼き物の実演を見たり直売所でうだうだしたり(ツアーによくあるみやげ物屋立寄ということか?)。ほとんど気ものらず。




礼拝堂に昇る階段

祈ってるのはツアー客(笑)。礼拝所でもない。

ケルバンサライの2階からね
 思い
  これで終わりかと思ったらまだあった。3本キノコ岩で有名なパシャバー地区に移動する。もうすでに日没が済んでしまっているのだが、暗くなる前のほんの一瞬をあわただしく見学する。

ギョレメ村に戻ってきたら、もう真っ暗だった。盛りだくさんなツアー終了。アルピノツアーズに預けていた荷物を取りにいった。Wさんは荷物をピックアップしていったということで、無事バスに間に合ったらしい。良かった良かった。ただ、どうもこの兄ちゃん、商売の口が終わったせいか、ぐっと態度が冷ややかになっていた。実は明日は近場のツアーに申し込もうかと思っていたのだが、興味無さそうな態度が露骨だったので、やめた。

とりあえず、アルピノの人が言っていた「ホリー・ケイブ」という宿に行きチェックイン。そのまま荷物をおいて町に戻る。



夕景のキノコ岩

祈ってるのはツアー客(笑)。礼拝所でもない。

なぜかうろついていたウサギ
 マズイ・・・
   まずバス会社に行った。明日夜にパムッカレに行く夜行バスのチケットを確保しておこうとしたのだ。ところが昨日確認しておいたバス会社に行ってチケットを買おうとしたら、19時と19時半の2本あるバスが、いずれもいっぱい。しまった、油断していた!隣のバス会社がもう一本バスを出してるというので、助かったとばかりにその会社に行って、確認したものの、そこもいっぱい。参った。このバスを確保するということは旅後半のキーポイントだったのだ。カッパドキアでさらにもう1晩過ごすということは、後の行程がかなり厳しくなる。われながらお粗末だった。

でも、カウンターで途方に暮れて、ついでにそこのオヤジに何とかならんかとしつこく食い下がったら、最初はにべも無かったオヤジもだんだん同情しはじめたようで、しょうがないという顔をしながら予約本部みたいなところに電話して確認してくれた。そしたらラッキーなことに1席空いていた。「You are lucky」と言いながら淡々とバウチャーを切る、オヤジの顔が神様に見えた。

次は明日の近場ツアーの予約。昨日周った中で、まぁまぁ良いかなと思った旅行会社に行こうとして、その手前にあった旅行会社に入ってみた。YAMAツアーズというところだったが、カウンターに座ってる女性がどう見ても東洋人。もしやと思って話してみるとやっぱり日本人だった。そうか・・・こんな会社もあったのか。

トルコ人と結婚して、こっちに来て2年ぐらいというマリコさんは、人が良さそうな感じで、そんなに押し付けがましいところが無く(やっぱり日本人的)、なんか妙にそれが新鮮。値段は他と変わらなかったが、しばらくやり取りして、結果ツアーをお願いしてみた。ついでに良いレストランは無いかと聞いたら、オリエントというレストランを紹介してくれたので、さっそくそこに行ってみる。

このあたりの住人はレストランで食事しないから、やってるのはすべて観光客相手、と教えてくれたマリコさんおすすめのオリエント・レストラン、確かに混んでいた。そのせいかやたらと待たせる。だが、味は確かに良い。ステーキは値段もそこそこで、本当に美味かった。時間に余裕があるなら、確かにおすすめ。

その後少しネット屋に寄ってからペンションに戻った。長い1日が終わった。

Republic of Turkey 2005年7月29日(金)〜2005年8月9日(火)
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