やっとの思いで撮ってもらった一枚、昨日の写真と比べてみて
9月16日(月) キボ・ハット(4,750m)〜ホロンボ・ハット(3,780m)
夜半過ぎから吹雪になった。僕の頭は割れんばかりで、もはやずっと山小屋で寝袋にくるまってアタマを抱えている。実はこのとき僕以上に大変なことになっている人がいた。ほぼ同じ行程で登ってきた日本人夫婦のだんなさんの方だ。登山開始の夜半過ぎまでみんな一眠りするのだが、夜通しずっとこの人のうめき声が聞こえてきた。こちらもとても動けるような状態では無いので、人の心配している場合では無いのだが、どうやら意識もはっきりしていないらしい。もともと陸上をやってた見た目に違わないスポーツマンなのだが、高度とそういうのは関係無いらしい。奥さんがつきっきりで看病している。なぜか奥さんは全く平気なのだ。情けなし日本男児たち。でもこういうとき一人は辛い。コミュニケーションも満足にいかない状況で、たまに覗き込んでくれるパーティメンバーはいたが、とても心細い状況だった。やはり仲間は必要だと心底思った。

僕のほうは動けなくても意識だけははっきりしてるのが救い。這うようにしてトイレに出かけると雪はどんどん降っているようで、すでにあたり一面は真っ白。だが、雪自体はそれほど珍しいことではないのか、残りのメンバーは頂上アタックに向けて夜半過ぎに出発していった。僕以外ではフランス人の奥さんの方が調子が悪かったので山小屋に残った。

後で聞いた話だと、オランダ人の夫婦は出発して程なく相次いでリタイアしたそうで、山小屋に戻ってきた。残りのフランス人のだんなの方がギルマンズ・ポイントまで、そしてウフル・ピーク(5,895m)まで行ったのはOZ娘一人だったそうだ。この登頂率の低さは、もしかしたら、気圧の急激な低下等で基礎コンディションが悪かったからかもしれない。

翌朝、雪は止まない。日本人夫婦のダンナの方は一晩中うなされていた。危険な状況なので、レスキュー隊のタンカに乗せられ真っ先に下山していった。こちらのコンディションも最悪。天気も悪いし長居は無用ということで、頂上アタック組の帰還を待たずにポーター一人をつけてもらって下山を開始した。

さすがに下りならなんとかなる。半分転びかけながらもどんどん下る。周りは一面の雪景色。昨日の風景がウソのよう。とにかく一気に下りホロンボ・ハットに到着。ここでいくらか状態は良くなったが、イマイチの固まりであることに変わりは無い。日本人夫婦はその日のうちにマンダラ・ハットまで下ったそうだ。頂上アタック組もここで再び合流。この日のホロンボ・ハットは満員御礼で、食堂の上の階にある狭苦しい場所で寝ることになった。日本人もけっこういた。9月の連休にからませて来る人は多いらしい。
下山中
9月17日(火) ホロンボ・ハット(3,780m)〜マンダラ・ハット〜登山口〜モシ
衝撃的な話を聞いた。なんと昨日の雪のせいで、ポーターが3人凍死したらしい。昨日の雪は山慣れしてるポーター達にしても予想外のことだったらしい。死んだのはうちの組の人では無かったが2人はマチャミ・ルートで、もう一人はマラング・ルートで、それもこれから我々が下山するその途上で死んだらしい。

僕の体調はだいぶ回復していた。今日はマンダラ・ハットを越えて一気に下山。天気は昨日がウソのように快晴。出発してしばらくして、昨日ポーターが一人死んだ場所を通過。あともう少しでホロンボ・ハットというところだった。

彼らは貧しさゆえに特別な装備を買えない。万全の装備で登っている我々にはただの雪でしか無かったものが、彼らには極限状態をもたらした。人間は平等じゃない。富を持つ持たない以上に人間の命の重さの部分でも人は平等ではないのだということをまざまざと見せつけられた。この事件はほんとに衝撃だった。僕は晴れ渡った空の下でポーターが亡くなった場所をじっとみつめていた。

帰り道はずっとガイドのリチャードと一緒に歩いた。リチャードの英語は早口では無いので僕でもついていける。死んだガイドの話、タンザニアの貧困の話、モシにいるという日本人教師の話、日本人女性の話、クマの話等々とても面白かった。登れなくて気落ちしている僕に向かってこう言った。

「いつでも来れる。生きてる限りは。」

5回目の挑戦でやっと登った人。69歳で登った人、いろんな例を紹介してくれた。
今日はとびきりすれ違う日本人が多い。というか登ってくるのは日本人ばかりだ。ホロンボ、マンダラ両山小屋は日本人で満員になるんじゃないかと思った。おまけに中高年が多かった。僕だって次がある。確かにそう思えた。

下山はあっという間だ。登山者リストを見ると日本人夫婦も2人そろってちゃんと下山したらしい。「高山病は下山すれば治る」の言葉どおり。僕もすっかり元気になった。最後に下山のサインをして僕の無謀な挑戦はあっけなく終了した。

経験不足、高山適性、基礎体力不足等登れなかった理由はかなりはっきりしている。自分が高度に弱いということはペルー旅行のときに自覚していたので、登頂は厳しいかと思っていたが、それにしてももう少しいけるような気がしていた。でもまぁ、これが結果だ。いつかもっと万全の準備をしてもう一度トライしたいと思っている。
7.キリマンジャロ失敗記 2002年9月13日(金)〜9月17日(火)
9/13(金) モシ〜登山口〜マンダラ・ハット
9/14(土) マンダラ・ハット〜ホロンボ・ハット
9/15(日) ホロンボ・ハット〜キボ・ハット
9/16(月) キボ・ハット〜ホロンボ・ハット
9/17(火) ホロンボ・ハット〜マンダラ・ハット〜登山口〜モシ
さすがにもう余裕
ちっこいカメレオン
登山口でリチャードと
思いは遥か
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